池田龍雄 今昔展Tatsuo Ikeda Exhibition -Past and Present-
2015.4.21(火)〜5.6(水)開廊:12:00~19:00(月曜休廊・最終日17:00まで)
〈関連企画〉
○今昔展 ギャラリートーク
4月26日(日) 会費:1,500円 ※要予約先着50名様
・ 15:00 〜 対談:池田龍雄×島敦彦
・ 18:00 〜 作家を囲んでささやかなパーティを行います。
○映画上映会
4月29日(水) 17:00 〜 「華開世界起」制作:孝寿 聡/ピエール・ブシュー(日仏合作映画/2011/93 min)
〈アーティストコメント〉
わたしがこの道を歩き始めたのは、多摩美に入学した1948年(昭和23年)の春だから、それから丸67年、その間に世の中 何もかも大きく変わりました。
焼け野が原のどん底の飢餓から贅沢な飽食の時代へ。極端な物不足から捨てるに苦労する物余りへ。経済は急成長、やがてバブルの頂点に達したあげく当然弾けて急降下。その間にコンピュータ化は加速度を増し、情報は洪水となって溢れ出し、便利さはもはや極限に近付き、いわゆる「現代文明」は病的な肥大化の一途を辿って 未来は暗澹。
そのような‘時の流れ’の中で芸術も目まぐるしく揺れ動きました。何よりも、その概念の根本からして大きく変わったのです。
たとえば、それまでは非芸術であったものが芸術に、反芸術と称していたものが公認の芸術に‥‥という具合。わたしもまたその中にあって相応に変化を遂げました。
しかし、三つ子の魂百まで、とか。一貫して変わらない一面もまたあります。わたしの場合、それは戦争によるトラウマ――はっきり言えば、国家権力=外圧によって受けた心の傷――です。実は、それがわたしを絵の道に向かわせた原因でもありますが、しかし、国のために酷い目にあった、騙された!という不信感、懐疑心は、今なお消えません。そしてその思いは、いつしか、世界と己れとの関係、はたまた、いのちの神秘、時間の不思議、存在の謎、にも向かいました。そして、外部と内部がトポロジーのいわゆる「クライン瓶」のようにひとつながりになっていることに思い至り、現在それは『場の位相』と題したシリーズとして続けられているわけです。
大阪で開く個展はこれが初めてですが、「今昔」と言っても、近年のシリーズ『場の位相』と、その周辺の作品が大部分で、昔のものはほんの数点です。 でも、初めて見る人にとっては総て初対面だから、今も昔もないでしょう。作品は、それを「見る人」によってその人なりにまた新たに創造されるのですから。
どうぞご随意に、遠慮なく‥‥‥‥
〈池田龍雄略歴〉
1928年佐賀県伊万里市に生まれる。15歳の時に第13期海軍甲種飛行予科練習生への志願を要請されて入隊。特別攻撃隊員として1945年17歳で敗戦を迎える。敗戦後の虚無状態を脱し教師を志すも師範学校を追放され、悩み迷った末に、既成の権威や秩序に縛られない自由な表現世界に生きることを決意し、1948年多摩造形芸術専門学校(現多摩美術大学)に入学。
まもなく岡本太郎、花田清輝、安部公房、埴谷雄高らの研究会に参加し、「世紀の会」のメンバーとなる。1950年代には社会問題への関心を高めて、絵画によるルポルタージュの可能性を探った作品を次々と発表。1954年読売アンデパンダン展で発表した『網元』が安部公房によって新聞に紹介され注目を浴びる。その後、さまざまなグループに加わり、絵画、写真、演劇、映画など多様なジャンルと深く交わりながら、今日まで前衛芸術家として活動し続けている。東京都在住。
2010-’11年「池田龍雄−アヴァンギャルドの軌跡」展(山梨県立美術館、川崎市岡本太郎美術館、福岡県立美術館巡回)、2012-’13年「TOKYO1955-1970:新しい前衛」展(ニューヨーク近代美術館/MoMA)ほか美術館企画展、個展、グループ展多数。
パブリックコレクション:国立国際美術館、東京国立近代美術館、東京都現代美術館、川崎市岡本太郎美術館 ほか