川嶋 守彦 展 記、濁り江Morihiko Kawashima Exhibition
2021.5.11(火)~5.23(日)開廊:12:00~19:00(月曜休廊・最終日17:00まで)
記「記、濁り江」
この展覧会は雨と雨にまつわる事象、水たまり、石に落ちる雨つぶとその匂い、ガラスにはじかれた雨、埃、にじむ水面、映る景色・・・・などがイメージソースになった作品で構成しているのですが、何かそれらを結びつける良いタイトルがないかと考えていました。読書中にふと目に留まったのが、濁り江というワードでした。『記、濁り江』は前回、前々会の個展タイトル『無記』より対の意味で『記』としました。無記とはその字の通り記入しないことですが、仏教用語でもあります。釈迦が形而上の問いに対して無記、つまり何も記さず、語らずといった保留の態度で問いの回答としたそうです。無記に対して今展につけた『記』は保留せずといった自身の態度表明でもあります。
つづく『濁り江』は新古今和歌集より、「濁り江の すまむことこそ 難からめ いかでほのかに 影をだに見む」よみ人知らず
(訳 濁り江が澄まないように、あなたと一緒に住むことは難しいでしょう。けれども、せめて水に映るあなたのほのかな姿だけでも見ていたいのです。)といった鎌倉期の恋歌より引用しました。そこに対象と非対象者(作者、鑑賞者)の絵画的な関係性が見て取れます。
私の作品はキャンバスに直接描いたものではなく、ビニールシートに薄く描いたものをキャンバスに接着してビニールシートを剥がしてとって制作します。その際、シートに描かれた像は左右反転して画布に定着されます。それらを幾層も重ね合わせることで像は重層化され曖昧なものになり、マチュエール(絵肌)はボコボコ波打って陶器のように鈍く光り出します。濁り江が濁り絵と掛詞になり、江は雨の縁意を感じ、濁る水面は絵画の画布を。そして反転してうつる像は自身の作品の制作方法にも重ねることができると考え展覧会タイトルとしました。絵画を水面や窓に見立てることによって、掴めそうで捉えることのできない像に鑑賞者それぞれの思いを幻視することができるような作品になっていると幸いです。
川嶋守彦