1993年には玉川を初代実行委員長として、武生市や鯖江市を含む広域地区の総称である丹南地方を母体とした現代美術の公募展<丹南アートフェスティバル'93>を開催する。

 

 

 

 
1990年今立紙展から手を引いた八田は、運動の舞台を地元武生に据え、次なる展開を模索していた。

1992年の春に玉川喜一郎を中心とした有志が、当時今立紙展で審査員を務めていた、たにあらた〔×別註2〕に東京で会い指導を受け、武生に戻ると実行委員会をつくった。翌1993年には玉川を初代実行委員長として、武生市や鯖江市を含む広域地区の総称である丹南地方を母体とした現代美術の公募展<丹南アートフェスティバル'93>を開催する。
展覧会としての特色を、丹南地区の産業の柱となっている、〔鉄〕伝統産業である越前打刃物、〔土〕日本6古窯のひとつ越前焼、〔木〕祖先伝来の降雪地帯の住居と信仰心の厚い神社仏閣、〔布〕日本有数の織物地帯、〔紙〕1500年の伝統を持つ越前和紙、これら5つの素材を表現媒体とした新しいユニークな表現の実験に求めた。
また、丹南アートは今立紙展の反省も踏まえ、経済界の企業家を中心に理事会を組織し、開始年の賞金総額は300万円と公募展としては今立紙展をはるかに上回った。第2回展にはイタリアからの出品が多数あり、タイトルに国際がついた。その内容は特別展やパフォーマンス、シンポジウム、ワークショップなどアートフェスティバルの名にふさわしいものであった。
そして1996年には<国際丹南アートフェスティバル'96 特別展>として<土岡秀太郎生誕 100年記念 100点展>が武生市民ホールで開催される。この展覧会は 100年という数字にあわせて100人の美術家の作品を 100点集めたもので、北美の関係者以外にも今立紙展や丹南アートなど何らかの形で福井と関わりのあった人々に呼びかけ、外国の作家を含む非常に多彩な顔ぶれの展覧会となった。記念講演会として美術評論家の針生一郎が講演した。
さらに丹南アートは、今立紙展のような単一素材ではなし得なかった、複数の素材による多様な表現を可能にし、全国的にも珍しい手作り公募展となった。この公募展によって様々な地方から作品や人が福井に集まり、そのつながりは岡山、群馬、神戸、大阪、高知…と全国に広まり、さらには海を越えて韓国、イタリア、アメリカ、イスラエル、ブラジル、スウェーデンなど海外にまでおよんだ。八田はこれらの地域に招待されたり、逆に福井に招待したりしながら、芸術と人間関係を通した独自の運動を続けている。
第6回となる1998年は5年間のまとめとして、それまでの出品作家や招待作家、実行委員が招待された国内外の展覧会で知り合った作家などに呼びかけた企画展となった。
2003年もまた第11回が企画・開催されている。
丹南アートの運営スタッフは北美とは違い、全員が作家であるとは限らない。作品を作らずとも運営には参加するという市民もいる。会員規約など特に制限を設けないため、年齢や職種も様々な人が参加できる。そこには、八田の人間的な魅力に引き付けられて、ということもあろう。

〔×別註2〕
美術評論家、1947年長野県生まれ。丹南アート初代審査員をつとめる。現在は筆名を『谷新』と改名、多方面に活躍中。

永宮勤士『八田豊論 -その作品と文化運動の語るもの-』LADS Gallery 2004年より抜粋

fukuinewspaper2012.8.12
2012年8月12日 福井新聞
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